これまでの国の会計は、ここ数年前まで収支のみを管理する方法で行われてきた。つまり、単年度ごとに歳出予算を組み、税収等の歳入ではまかなえない金額を国債を発行するなどして、単年度収支の予算を編成し、予算を執行するという形で行われてきた。国債を発行するということは、現在の支出をまかなうための借金を将来の世代に引き継ぐことに他ならないが、これまでは、現役世代の受益と負担の関係や、将来世代への負担先送りのバランスが明確に分かるツールがなかった。
今までの公会計のあり方では、現在の巨額な財政赤字を抱える日本の政治・行政の状況を改善できないため、まったく新しい視点から、下記の5つの機能を持つ「国家財政ナビゲーションシステム(国ナビ)」が誕生した。

国ナビを使って予算編成を行うのは、総理大臣や内閣の閣僚である。では国ナビや自治ナビを使った新たな予算編成のプロセスは、いかなるものになるだろうか。想像力を膨らませて、近未来の予算編成期に、実際にどのように国ナビが使われるのか思い描いてみよう。
いよいよ予算編成の時期がやってきた。予算案をとりまとめなければならない。
内閣総理大臣は、首相官邸の執務室で、プロジェクターでスクリーンに投影された国ナビのシートの前でずいぶん長い間考えこんでいた。
彼の頭の中には、まず予算に盛り込まねばならない政策項目があった。それは、自分がマニフェスト(政権公約)で国民に約束した政策の重点項目や、圧力団体や地方からの要望が多い景気対策、連立与党が厳しく要求する社会保障政策の充実などである。
そうした政策を実行するためには予算的にいくらかかるのか、予め官邸にいるスタッフに、各省庁に連絡させて積み上げの計算をさせてある。官邸には、総理の予算編成を補佐するための30名程度の国ナビ運用スタッフを置き、準備として各省庁に問い合わせることになっているのだ。官邸スタッフは、後述するような国ナビによるシミュレーションや、勘定科目の設定も行う。またそれとは別に、経済財政諮問会議の予算の基本方針についての答申もあらかじめ受けている。
総理大臣が睨んでいるのは、それらの数値を入力した国ナビのシートなのである。そうした政策とそれに要する財源措置の金額は、国ナビの一番左側の「行政コスト」(経常損益)及び「財源の使途」(損益外財源の減少)という部分に、政策やプロジェクトごとにずらりと並んでいる。政策のすべてがここで一覧できるわけだ。
彼の政策では、初等中等教育における学力の低下を食い止めるための対策がひとつの目玉になっていた。だからこの辺の予算は従来よりかなり厚めに積んである。また、彼の党内での基盤を安定させるために、整備新幹線の整備は避けては通れないと判断したため、ここにも従来より大幅に伸ばして予算をつけるつもりだ。景気回復のための中小企業対策も上積みしたいところである。
次に考えなければならないのは、そうした政策を実行するために必要な財源をどこから調達してくるかという問題である。
国ナビのほぼ中央にある「現役世代の負担額」という項目は、税金を財源とする金額のことであり、ここにこれらの政策を実行するにあたって、どのくらいの金額を税金で賄うことができるかを、総理の指示に従って国ナビのスタッフがパソコンに入力するのである。
「文教予算については、現役世代の負担を重くしてもよいだろう。しかし整備新幹線については、一度線路を引いてしまえば将来世代もそれを使えるのだから、将来世代に負担を大きく求めてもよいだろう」などと考えつつ、スタッフに指示して個々の数値を入力していく。
これらの入力が終わると、自動的に赤字国債相当額や建設国債相当額がはじき出されてくる。
しかし一方で、前回の選挙のマニフェストには「将来世代への負担の先送りの上限額は年間10兆円以内にする」という公約も盛り込まれている。これもまた国民との約束であり、予算の大枠を決める重要な約束である。
赤字国債相当額と建設国債相当額の数字が出れば、そこから将来世代も利用可能な社会資本の増加額を差引くことによって、個々の政策に関する将来世代への先送り額がどう変化するのかということも自動的に算出される。
総理大臣はここで、「うーん」と大きくうなった。将来世代へのことをまったく考えずに、やりたい政策とそれにかかる予算要求を国ナビに放り込んでいくと、思ったよりもはるかに大きな負担を将来世代に先送りすることになってしまう。しかもそれは公約で約束した数値をはるかに超えるものであり、与党の数の力で予算案をごり押しして国会を通過させたとしても、「公約破り」という評価を跳ね返すことはできない。これは次の選挙での野党の格好の攻撃材料になってしまう。
「これではあまりにもまずい。将来世代の負担額をとにかく圧縮しよう」
そう考えた総理大臣は、まず文教予算と中小企業対策の数字を数千億円カットした。それにしたがって、将来世代への負担の先送り額の数字が減っていく。「文部科学大臣と経済産業大臣にはほかのことで埋め合わせればいいさ」。
「こんなにカットしなければならないのか……」
総理大臣は天を仰いだ。なによりも整備新幹線を是が非でも着工しなければ、党内からの突き上げで首相の座は危ない。派閥のバランスをなんとか取るためには、整備新幹線を切るというのはあまりにも非現実的だ。そう考えた総理大臣は、まず整備新幹線を復活させた。ひとりで復活折衝をやっているのである。
しかしここでチェックしなければならないのは、将来利用可能な資源の増減額と、将来の国債償還のために拘束された資源額のバランスである。
新幹線をつくれば、これは将来世代が利用可能な資源が増えたように見える。これまではそのような理屈で公共事業をどんどん行ってきた。しかしそれと同時に、道路や橋をつくるために発行した建設国債の償還が迫ってくる。結局これらの償還は将来世代が払う税金の中から行わざるをえない。つまり彼らが払う税金は、あらかじめ使途が拘束されているのである。
なるべく将来世代の負担額を増やさないためには、現役世代が税金で払う部分を大きくしなければならない。そうするとますます他の予算を削らざるを得なくなる。地方では景気対策の要望も相変わらず強い。では年金の受給額を思い切って減らす制度改革を織り込んでしまうか……。そんなことをすると、連立相手の与党が大騒ぎになるだろう。連立解消を言い出すかもしれない。いまそんなことをされたら内閣はもたない。
あちらを立てればこちらが立たず、ここに至って過去の景気対策のツケで公債費も膨張し、予算の自由度は限界的に少なくなってきている。いったいこれ以上何ができるというのだろうか。
以前であれば、大蔵省の知恵者がどこかから財源をひねり出してきてくれたものだが、それは結局は「将来世代へ見えないようにツケを回す」という姑息な手段でしかなかった。国ナビは将来世代への負担についても100%カバーしているのでどこかを削ればそれがどこかに影響するのがきちんと表示されるし、会計基準を変に変更しなければ、以前の大蔵省のように魔法を使って財源を出してくれるというウルトラCはない。
厳しいけれど、各政策についての財源措置を削るか、現役世代の負担額を増やす以外には、抜け道はないのである。
総理大臣は予算案を提出する直前まで、内閣や党と連絡しつつ、執務室にこもって国ナビのシートを前にシミュレーションを何度も繰り返した。これだけは、他人に丸投げにするわけにはいかない。彼自身が意思決定をしなければならないという重責を担っているのだから。すべてがパソコン上ですむ話ではあるのだが、スタッフは根回しのために霞ヶ関と永田町を走り回っている。政権の周囲も、財界や各種利益団体も、総理大臣の決断を固唾を呑んで見守っているのだ。
彼の先輩の政治家たちも、予算に関してはそうした重い決断をする局面にしばしば直面したことだろう。しかしそれは、新たな財源措置(財源の使途)をひろげたり、前例になかったような軽重をつけたりという決断であって、言ってみれば「後は野となれ山となれ」というタイプの決断でしかなかった。彼が今、来年度の予算編成で直面しているのは、自分の意思決定の結果が将来を含めて国家財政にどのような結果をもたらすか、さらには具体的に誰に利害を与えることになるかであり、それが国ナビ上に明確な数値として示されているのである。しかもそれは数十兆円という、常人の神経では耐え難いほど巨額な責任なのだ。よほどしっかりした経綸と、強い信念を持った人間でなければこの重責は務まるまい。
「先輩政治家たちに比べて自分はなんと重い責任を背負っているのだろうか。まさに、がんじがらめだな」
彼は改めて深いため息をついた。
(続く・・)